【プロフィール】
1962年にウクライナの首都キーウに生まれた女流画家。旧ソビエト時代に、アカデミーで優れた才能ある少年少女を対象とした絵画の特別英才教育を受けた後、16歳でアメリカに移住。クリーブランド美術大学を特待生で卒業。既に身に付けていたヨーロッパの伝統的油彩画技術とアメリカの自由な空気が見事なマリアージュを実現しました。生き生きと描かれる光によって素晴らしい臨場感を感じさせるあたたかい作風に結実したのです。現在は、さわやかな光あふれるカリフォルニアでヨーロッパの伝統が香る作品を制作しています。
その類まれな空気や光を表現する力量と作品を前にした時に伝わってくる幸福感で、幅広く支持を受けています。どんな時でも、「LIFE IS BEAUTIFUL!」を考えの基本において活動することを心掛けているそうです。誰もが笑顔になれる子供を描いた作品。あたたかい光や、さわやかなそよ風を感じる窓辺の風景。アイリーン・フェットマンの作品には、美しくかけがえのない情景が描かれています。透明感あふれる作品には、なにかにやさしく包まれて、描かれた世界と一体になるような幸福感があり、多くの方の支持を受けています。その洗練された色彩で描かれた、やさしさあふれる作品の画面に広がるそよ風や柔らかい光は、観るものを心地よい空間に誘ってくれます。風を感じ、光を感じ、気がつくと描かれた世界に招かれるように入り込んでいるのです。彼女が描く、全身に臨場感を感じさせてくれる作品は、写実的であるのみならず印象派絵画の心地よさがあり、若い時に修錬を重ねて身に付けた微妙な光を様々に表現する技法で朝、昼、夜の空気を描き分けています。見過ごしてしまいそうな日常のひとときの美しさを描き出し、私達を心から共感させる数々の作品。今、ここに生きている歓びを謳うアイリーン・フェットマンの作品には作家のまごころまで表現されているようです。洗練されたやさしさがあふれるその作品は、私たちの宝物といえましょう。

略歴

1962年 ウクライナのキーウに生まれる。
1973年 11歳で旧ソビエトの5年間の絵画専攻エリートコースに選抜される。
1979年 フェットマン一家はウクライナからアメリカに移住。
1980年 クリーブランド美術大学に5年間の奨学金を得て入学。
1984年 この頃からクリーブランド地区を中心に作品発表活動。
1985年 クリーブランド美術大学を卒業し、カルフォルニアに移住。
2000年 7月に、三越銀座店にて日本での初個展を開催、
9月には三越仙台店で個展開催。いずれも好評を得た。
2001年 東武百貨店、三越仙台店
2002年 東武百貨店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2003年 伊勢丹新宿本店、東武百貨店、三越仙台店
2004年 伊勢丹新宿本店、三越仙台店、阪急うめだ本店
2005年 三越松山店、伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店
2006年 大丸神戸店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2007年 三越日本橋本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2008年 阪急うめだ本店、伊勢丹新宿本店、三越仙台店
2009年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、三越仙台店
2010年 伊勢丹新宿本店、東武池袋店、三越仙台店
2011年 伊勢丹新宿本店、三越仙台店、うめだ阪急本店
2012年 伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越
2013年 伊勢丹新宿本店、仙台三越
2014年 伊勢丹新宿本店、うめだ阪急本店、仙台三越
2015年 伊勢丹新宿本店、仙台三越、高松三越
2016年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、仙台三越
2017年 伊勢丹新宿本店、高松三越、仙台三越
2018年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、仙台三越
2019年 伊勢丹新宿本店、仙台三越
2020年 伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店

アイリーン・フェットマンさんに伺いました。


Q: 「なぜ絵を描くようになったのですか」
子供の頃から絵を描くことに情熱を持っていました。9歳の頃には何の疑問も無く画家になりたいと思っていました。1973年に当時旧ソビエトに四校あった権威ある正統的美術学校の一つであるシェヴチェンコ・アートアカデミーに入学することが出来ました。ここは5年制の学校で、何千もの願書から選抜された500人だけが受験を許され、実技の試験を受けます。そして100名の入学が許されるのです。 ソビエトの美術学校では美術の基礎的な技術を確実に教えられました。しかしそれは同時に、国家が要求する描き方であるリアリズムに奉仕するようにとの圧力でもありました。表現者の個性は抑圧され、色彩や表現方法の工夫は蔑ろにされました。 その後イタリアを経て、アメリカに渡り1980年にクリーブランド美術大学への入学許可を得ました。しかし、ソビエト時代の影響から逃れ、アートは何かに奉仕するためにあるのではないことが分かるまでに数年かかりました。一本の線や色彩が、それだけで新しい空間や表現を創造することができることを学びました。そして、美術には制限が無いことも知りました。クリーブランド美術大学での5年間の間に私の才能と作品は認められ、奨学金と数々の賞が与えられました。

 

Q: 「卒業後はどうされましたか」
1987年に私はロサンゼルスへ移りました。ここで主人に出会い、1991年には息子が生まれました。カリフォルニアは素晴らしいところです。自然、太陽の光、広大な山々、そして広い海は私が子供の頃過ごした黒海での夏休みを思い出させます。そこは、亡命中に過ごしたイタリアも思い出させてくれます。どこまでも続く杉並木の道や丘、崖に建って海の中に飛び込むかのように目に映る家、テラスのオリーヴがたわわに実る赤い屋根の家などです。私の作品にはこのような思い出や心象風景が表現されています。 現在、私は家族と共にロサンゼルスの郊外に住み、自宅のスタジオで制作し、周囲のとても美しく魅力的な自然からいろんなことを学んでいます。

 


Q: 「アイリーンさんの作品の特徴を教えてください。」
私の作品では特に、光や色彩、さらに「画面の感触」が重要です。どのように筆をキャンバスに触れさせるのか、どの方向に筆を動かすのか、どの程度の早さで、どれぐらいの筆圧をかければよいのかを考えます。そしてどのような色彩で表現すべきか……などの工夫が作品に光と風の動きを与えるのです。これらの様々な工夫が作品に命を吹き込みます。まるで絵の中にそよ風が吹いているかのように、描かれている風景が何時ごろなのかの判断もでき、さらに目で見ていながら音までが聞こえるかのように、いろんな自然の印象を感受できる画面を作ってくれるのです。
Grand delice que celui de noyer son regard dans l’immensite du ciel et de la mer! Solitude, silence, incomparable chastete de l’azur! une petite voile frissonnante a l’horizon, et qui par sa petitesse et son isolement imite mon irremediable existence, melodie monotone de la houle, toutes ces choses pensent par moi, ou je pense par elles (car dans la grandeur de la reverie, le moi se perd vite!); elles pensent, dis-je, mais musicalement et pittoresquement, sans arguties, sans syllogismes, sans deductions.
ボードレール散文詩 「パリの憂鬱」より
「空と海の広大無辺の中に眼差しをひたすことは何と大きな楽しみであろう。 孤独、寂寥、蒼空の類なき純潔! 水平線にうちふるえては、その小ささと孤立とによって、如何ともしがたい私の存在を真似ている小さな片帆。 浪のうねりの単調なメロディー、 すべてこれらは私を通して思索している。 或いは私がそれらを通して思索している。(広漠たる夢見心地の中では、自我は忽ちに消え失せるのだから!) まさしくそれは思索している。 しかし音楽的に、絵画的にであって、決して詭弁や三段論法や演繹法などは使わずに。」
(丸山圭三郎 訳)
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